保険代理店による保険契約締結と
      「保険契約記録の使用権及び更新契約交渉権」           試論
        −−記録使用更新契約締結交渉権等−−
           (初稿2005/9月inswatch掲載)
 
 
                大阪弁護士会所属
                       弁護士 五 右 衛 門
 
まえがき
 保険代理業の世界において米国で言われる「満期所有権」ないし「これに準じる権利」を日本においても認められるべきであるという議論があるが、この議論について法的な観点から検討した論考は殆ど見あたらない。
 本稿は日本において、この「満期所有権」ないし「これに準じる権利」が認められる余地があるのか否か、その問題点の所在などを検討するものであり、本稿は初稿であるが、継続して検討、反芻を重ねていきたいと考えている。本稿は初稿である。
 
目次
一 満期所有権概念について
二 記録使用更新契約締結交渉権の実体とその利害
三 記録使用更新契約締結交渉権の帰属とその法律構成
四 営業権的理解の見解について
五 今後について
 
参照文献など
「損害保険代理店委託契約の解約告知」抜粋(久保泰造著)
「保険募集の取締に関する法律の立法論的考察」(久保泰造著)
「損害保険代理店委託契約書コンメンタール」(大塚英明早稲田大学大学院法務研究
科教授・東京損害保険代理業協会法制委員会共著)
http://www.leginfo.ca.gov/cgi-bin/displaycode?section=ins&group=00001-01000&
file=769-769.55
(米国カリフォルニア州INSURANCE CODE SECTION 769-769.55 )
 
一 満期所有権概念について
 
1 日本において、保険代理店の独立性を阻害するものとして、「保険契約における満期所有権」が元受保険会社に帰属し、保険代理店に帰属していないとの解釈と運用があると言われている。
 
2 この満期所有権という概念は、米国の保険業界で使用されている「Ownership ofExpirations」という概念を直訳したもののようである。
 
 例えば米国のある保険会社の保険募集委託契約書のなかに次のような条項がある(「損害保険代理店委託契約の解約告知」(著久保泰造)参照)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 Your rights and Our rights
 「記録文書と満期更新(Records and Expirations)は貴方の権利(Your right)である。
 しかしながら当社は引き受けたビジネス(保険契約)に関する情報について立入り検査をすることができる。
 貴方が許可しない限り、貴方の顧客に他の保険を販託する目的で貴方の記録文書を使用しない。
 しかしこの契約が終了したとき、貴方が適正に会計報告をしていなかったり、保険料を精算していなかった場合には、貴方は記録文書に対する権利を失い(you lostthe rightto your records)満期更新を含めた貴方の記録文書は当社の財産となる(your records,including expirations become our property)。
 貴方が他の保証を提供しない限り、貴方の当社に対する債務を限度として当社がそれら(記録文書と満期更新)を使用し管理する独占権を取得する。
 もし貴方が債務不履行になり、当社が貴方の満期更新を管理することになった場合、それらの満期更新の手数料を当社で保管し、貴方の当社への負債に充当するか或いはこれらの満期更新を他の代理店やブローカーに売却する。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      (以上、「損害保険代理店委託契約の解約告知」(著久保泰三)参照)
 「Ownership of Records and Expirations」を直訳すると、「記録及び満期の所有権」となり、これを端的に直訳使用しているものと思われる。
 
3 この満期所有権という概念の中身を検討してみると、端的にいうと、「保険契約を更新するための既存契約関係記録の使用の利益とこれを使用して保険契約者に更新契約締結の交渉をする利益」を指称しているようである。
 
4 このような利益について、日本の法律は独立した権利として法定、保護していないのみならず、このような利益を保護すべき権利として肯定したとしても、これを「所有権概念」に包含させることは、既存の日本法における所有権概念との関係が想定しにくいものと言える。
 なぜなら、日本法における所有権概念はいわゆる物権と構成され物に対する直接的支配をその内容とするものとされ、契約相手方など他の人に対する請求権である債権と峻別して構成されているからであり、保険業界で使われるいわゆる満期所有権というれるものの実体は後記のとおり「保険契約を更新するための既存契約関係記録の使用の利益とこれを使用して保険契約者に更新契約締結の交渉をする利益」であり、無体利益の使用権と保険契約者に対する更新契約締結交渉権というべきもので、その中核は優先的更新契約締結交渉権というべきものであり、物権ではなく、また一種の債権であるとしても、直接的に利益を享受すること目的とした債権でもないといえるからである。
 
5 ここで検討しようとする利益について、保護すべきなのか否か、また保護するとしてどのような場合に保護すべきなのか、ということを検討するについては、「中身である上記のような利益」と乖離した「満期所有権」というような概念を、使用することは戒める必要がある。
 なぜなら、このような保護を検討すべき利益の内容とそれを指し示す呼称概念の間に大きな齟齬が認められる場合、このような内容と乖離した表現を用いることは、その検討すべき利益の正しい把握を困難ならしめるという欠陥があり、さらに日本におけるこれらの利益の保護の必要性の有無と保護の妥当性の検討をするについて、百害あって一利もないと考えられるからである。
 
6 ここでは、上記のような「保険契約を更新するための既存契約関係記録の使用の利益とこれを使用して保険契約者に更新契約締結の交渉をする利益」を、便宜上、「既存保険契約記録使用及び更新契約締結交渉権」と表現して検討することとし、以下、ここでは、これを略称して、「記録使用更新契約締結交渉権」と呼ぶこととする。
 
二 記録使用更新契約締結交渉権の実体とその利害
 
1 締結された保険契約の満期がきた場合、当該保険契約を更新するか否かは、当然、契約当事者である元受保険会社と保険契約の締結者である顧客が、更新契約締結を自由に決定するこことなり、元受保険会社ないし保険代理店について、保険契約者に対し、更新契約締結ないしその交渉に応じるように求める権利は認められず、そこには「法的に保護すべき利益」、即ち「権利」概念が介在する余地はない。
 即ち、保険契約者に対する関係において、「権利」概念が入る余地は認められないといえる。               
 
2 ここで検討すべきなのは、1に記載したような保険契約者との関係ではなく、実は、保険契約者との間で記録使用更新契約交渉をする利益が、元受保険会社と保険代理店との関係において、元受保険会社に帰属するのか、保険代理店に帰属するのかという、元受保険会社と保険代理店の二者の間の問題なのである。
 保険契約の更新契約を締結するために、保険契約者に交渉する利益が、元受保険会社と保険代理店という両者の間において、いずれに認めるのが妥当なのかという問題なのである。そして、その利益がいずれに帰属するとしても、保険契約者自体は、原則として、その帰属に拘束されるものではないという問題なのである。
 
3 即ち、従来の保険契約の形態においては、保険代理店の役割は保険契約の、締結代理であり、この締結代理は保険契約の締結と締結された契約の存続に利害を有する(中途解約は通常、保険代理店に支払われた手数料の一部返還義務を招来することなるのが通常の保険募集委託契約の内容である場合が多い)こととなるが、一旦締結された保険契約については、その契約当事者は元受保険会社と保険契約者ということとなり、保険契約の締結を主たる任務とする保険代理店の役割は一応終了するということとなるからである。
 もとより一旦締結された保険契約については、元受保険会社としては締結した契約の更新、すなわち更新契約の締結に関心と利害を持つものの、この将来利害と関心を呼ぶ保険契約の更新契約の締結については、「保険契約者が、将来、保険契約の更新契約交渉に応じてくれるか否かもわからない」という意味で「将来の、不確定な出来事である」ということから保険契約締結の締結を主たる業務とする保険代理業者について、「具体的に保護すべき直接的な利益ないし利害は存在しない」という発想に結びつきやすく、また元受保険会社としては保険代理店になんらかの権利を認めることは自社の権益を阻害することとなるという発想からこれを排除し、保険代理店になんらの権利を肯定しないという立場に立つからである。
 
 保険募集委託契約書に「代理店は、本契約の終了又は解除の事由如何にかかわらず、本契約の終了又は解除に起因又は関連して当会社に対し如何なる補償も請求することができない」という条項が設けられているのである。
 
4 このような保険代理店の自主、独立を阻害するような発想が従来、保険業界を支配してきた理由については筆者は知らないところであるが、法的な観点から、この問題を見てみると、「保険契約締結」−「保険契約の更新契約締結」というように、保険契約等においては、1年ないし数年という短期間の保険契約期間が定められ、そして、その更新契約の締結が予定されているにもかかわらず、保険募集委託契約の内容が、主として一回限りの新規の保険契約の募集締結を想定して作成されているところにあるように思える。即ち、保険会社と保険代理店の権利義務関係を規定する保険募集委託契約に、保険契約の更新契約について保険会社と保険代理店との権利義務関係を規定していないことによるものと思われる。
 保険契約、とくに損害保険契約などは、もともと契約期間終了という満期後の更新契約締結を予定しているにもかかわらず、保険募集委託契約書は、一回限りの保険契約締結のみを委託するかのような規定の仕方であり、保険契約の更新契約を特別に規定していないという保険募集委託契約の不備(意識的にされたものか否かは別として)が本件の問題を生じさせているものともいえる。
 もとより力関係において優位にたつ元受保険会社からすれば、更新契約についての当該元受保険会社と保険代理店との権利義務関係を規定していないことは元受保険会社に利益であることから規定しないということであろうが、これは一方的に元受保険会社を利することとなり、他面保険代理店の自主、独立性を損ない、その生死を保険会社に委ねる結果を招来するものであり、信義則上も、改善を検討すべきものであろう。
 
 米国では「保険契約の満期ないし満了はビジネスチャンスであり、それの把握自体、ひとつの特権ないし特性」として把握されているようであるが、日本の保険募集委託契約においては、「この保険契約の満期ないし満了という情報はビジネスチャンスであり、その把握がひとつの利益ないし特権である」との認識が、現時点においては明示的には確立されていないと表現できる。
 
三 更新契約締結交渉権の帰属とその法律構成
 
1 「保険契約の満期ないし満了という情報はビジネスチャンスであり、その把握がひとつの利益ないし特権である」との認識がない日本においては、契約の当事者であるということにより、その情報は保険契約当事者である元受保険会社に帰属すると理解されることとなり、保険契約について更新契約の締結の交渉は元受保険会社の自由という結論に結びつく。
 
2 しかし、保険契約における更新契約と特段の事情がない限り更新契約が締結されるという保険契約の実態を直視すれば、「保険契約の満期ないし満了という情報はビジネスチャンスであり、その把握がひとつの保護すべき利益ないし特権である」という認識に立脚すべきであり、「この利益は誰に帰属するのか」、そして「その帰属の対価は何であるのか」、そして「保険契約について更新契約の締結の交渉という利益の帰属主体は誰であるべきなのか」ということを再検討する必要がある。 
 
 「ひとつの、ある利益を保護するべきである」という認識は、その利益の帰属主体に「ある種の権利」を肯定するという発想に結びついていくからである。
 
3 日本における保険募集委託契約においては、通常、「更新契約についての当該元受保険会社と保険代理店との権利義務関係を規定する条項がない」としても、これに関連すると理解できる条項はある。
 それは、通常の保険募集委託契約において、元受保険会社は保険代理店に対し、「保険契約の維持、管理業務を行う義務」を負わせる条項を設けているからである。
 この「保険契約の維持、管理業務を行う義務」の内容は何か、ということが問題であるが、元受保険会社としては保険契約が締結され、当該保険契約が有効に存続することの対価として保険料収入を獲得しているものであることから、締結された当該保険契約が招来においても有効に存続することについての維持、管理業務ということとなる。それは保険契約締結者からの中途解約というような事態を避けるために必要な業務も当然含まれることになる。
  
 では、保険期間の満了を迎える保険契約について、更新契約を締結するような体勢づくりというか環境づくりは保険代理店に課せられていないのであろうか。
 保険契約期間の満了を迎える保険契約の締結者に対し、例えば、他の保険会社と保険契約を締結するように勧誘することの是非という観点で考えてみる。これが許されるのかという点である。
 1年ないし数年というような短期間の保険期間の保険契約においては、保険会社は、当然、更新契約の締結を期待し更新契約締結による保険料収入の確保を期待していることから、保険代理店に課せられる「保険契約の維持、管理業務を行う義務」の中には、保険期間満了による更新契約締結に至る環境づくりも当然含まれると解釈すべきであろうし、仮にその条項の文言上、これが含まれると解釈困難であったとしても、それに準じて考えるべきものと思われる。それが、保険募集委託契約の当事者の通常の意思と考えられるからである。
 このように考えてくると、保険代理店が「保険契約期間の満了を迎える保険契約の締結者に対し、例えば、他の保険会社と保険契約を締結するように勧誘すること」は元受保険会社との関係で、「保険募集委託契約上の保険の維持、管理義務に違反する」という解釈も可能であるということとなる。
 
4 このように考えてくると、「保険契約の満期ないし満了という情報はビジネスチャンスであり、その把握がひとつの利益ないし特権である」ことについて、保険代理店の関係で検討すると、それは単に元受保険会社との関係において「保険募集委託契約が存続していることを前提」とした「単なる営業権的な利益」であるにとどまらず、「保険募集委託契約が存続していたこと」を根拠とする、保険募集委託契約の存否とは別個の保険代理店の守られるべき、保護されるべき利益であると理解できる。
 
5 このように、今問題としている事柄が、「保険契約者が、将来、保険契約の更新契約交渉に応じてくれるか否かもわからないという意味で、将来の、不確定な出来事」であるとしても、その「保険契約の更新契約を締結するために、保険契約者に交渉する利益が、元受保険会社と保険代理店という両者の間において、いずれに認めるのが妥当なのか」ということは保険代理店にとっては死活問題ともいえる重大な問題なのであり、保険募集委託契約書に設けられた前記のような一片の条項により保険代理店の利益ないし権利を否定することが許されるのかということが問題なのである。前記のとおり、この保護すべき利益は「保険募集委託契約が存続していることを前提とした単なる営業権的な利益であるにとどまらず、保険募集委託契約が存続していたことを根拠とする、保険募集委託契約の存否とは別個の保険代理店の守られるべき、保護されるべき利益である」と考えれば、この利益を前記のような一片の条項により否定することは不当ということとなる。
 
 なぜなら、保険代理店が長年月の時間と努力により獲得した保険契約の顧客について、一旦保険契約を締結した状態となるや、その後の契約更新交渉について「当該保険代理店になんらの保護すべき利益ないし権利がなく、更新契約交渉について、当該元受保険会社が、それについての一切の処分の自由がある」との解釈は、保険代理店の生死を元受保険会社の恣意的な判断にも委ねるという著しく不合理な結果をも招来するのみならず、この利益は前記のとおり「保険募集委託契約が存続していることを前提とした単なる営業権的な利益であるにとどまらず、保険募集委託契約が存続していたことを根拠とする、保険募集委託契約の存否とは別個の保険代理店の守られるべき、保護されるべき利益」と考えるべきであり、継続的取引契約における契約解除の場合の損害賠償義務の肯定など既存判例の趣旨との不整合という問題が起きてくるからである。
 
6 継続的な取引を行ってきた当事者の一方がその契約を解除ないし取引行為を中止した場合、他方に対しその損害の賠償をする義務がないのかという点については、次のような裁判例がある。
 
東京地裁平成11年2月5日判決
 継続的な取引契約が長期間にわたって更新が繰り返されて継続し、それに基づき、製品の供給関係も相当長期間続いてきたような場合において、製品の供給を受ける者が、契約の存在を前提として製品の販売のための人的・物的な投資をしているときには、その者の投資等を保護するため契約の継続性が要請されるから、公平の原則ないし信義誠実の原則に照らして、製品を供給する者の契約の更新拒絶について一定の制限を加え、継続的契約を期間満了によって解消させることについて合理的な理由を必要とすると解すべき場合があると考えられる。
 
東京地裁昭和57年10月19日判決
 期間の定めのない専属的下請契約において、発注者からなされた取引停止通告がやむを得ない事由によらないものとして、信義誠実の原則に照らし許されないとして、6か月分の逸失利益の損害賠償を命じた。
      
東京地裁昭和52年2月22日判決
 商品の供給を受ける代理店が商品の供給をなす卸売業者の指定する商品のみをその指定する地域のみで販売することを義務付けられた期間の定めのない継続的取引契約においては、契約の存続を困難ならしめる特段の事情のない限り、卸売業者が一方的に解約申入れをすることはできない。
 
 上記のような継続的取引についての裁判例を概観すると、イ 継続的取引において一方的な契約解除ないし契約中止により他方の契約当事者に対し、損害を与えることは合理的の理由がない限り認められない。 ロ そして、合理的な理由が認められない場合には、一定の損害賠償金の支払い義務がある、というものである。
 このような継続的取引に関する裁判例のうち、上記イの法理は保険募集委託契約の契約解除の場合に援用できる部分があるが、本稿で問題とする記録使用更新契約締結交渉権には関係しない。
 
7 問題は上記裁判例の法理ロの部分である。
 上記ロの法理が保険募集委託契約にも妥当するとした場合、元受保険会社が合理的理由なく保険代理店との保険委託契約を解除ないし契約の更新をしなかった場合に保険代理店に賠償すべき損害賠償金額の範囲が問題である。
 このような継続的取引の合理的理由なき解除の場合に支払いを命じられるべき損害額は、当該取引が継続していれば得たであろう一定期間の利益額を基礎として算定されることとなる。
 保険代理店との関係で検討すれば、保険代理店が有した顧客について、保険契約を更新することにより得たであろう保険手数料の一定の期間(更新契約時期到来の回数等)における金額が基礎となることとなる。これは当該保険代理店の過去の更新契約締結率等や保険手数料の料率等の諸事情を総合して決せられこととなる。
 この損害賠償金額の算定は難しい問題である。
 しかし、このような損害賠償金の支払い義務の肯定は、評価を変えれば、保険代理店の記録使用更新契約締結交渉権の違法な侵害に対する損害賠償義務と評価できるものである。
 この損害賠償の法理は、契約当事者間の信義誠実の原則に基づくものであり、かつこのような信義誠実の原則に基づく法理を取引における力関係、支配関係を利用して一方的に放棄させるようなことは認められるべきではないことから、前記のような保険募集委託契約書の「代理店は、本契約の終了又は解除の事由如何にかかわらず、本契約の終了又は解除に起因又は関連して当会社に対し如何なる補償も請求することができない」という条項は、上記の限度においてその効力は制限されると解釈すべきこととなる。
 
2 以上のように記録使用更新契約締結交渉権の根拠と実態を検討してくると、保険代理店が求める米国のようないわゆる満期所有権的な権利は日本においては無条件では認められないこととなってくる。
 米国においても、いわゆる満期所有権というものが認められるのは「独立代理店」(Independent Agency)だけであると言われている(前掲「損害保険代理店委託契約の解約告知」)ところであり、日本においても、後記のとおり、この記録使用更新契約締結交渉権の実体がいわゆる営業権的なものを根拠とした、対保険会社との関係での権利であるとすれば無条件に認められるものではないのは当然とも言えるところである。
 日本において満期所有権というような権利を認めるとしても、「すべての代理店というわけではなく、一定の規模と能力を有した代理店のみに限定されるべきものだろう」と言われているところであるが(「保険募集の取締に関する法律の立法論的考察」31頁著久保泰造)、これは米国のように独立代理店であるか否かというような一定の資格ないし基準により決定される形式的基準ではなく、営業権という実質的な保護すべき利益ないし権利の有無により決定されるべきものである。
 
 前記のとおり、継続的取引を基礎として信義誠実の原則等により根拠づけられる記録使用更新契約締結交渉権は保険代理店の顧客獲得の努力とその契約の維持管理の努力等継続的取引の存在を前提とするものであるからである。
 従って、例えば保険代理店となったばかりの保険代理店が自らの努力と力によって保険募集に成功し元受保険会社との間で保険契約の締結に至ったとしても、直ちに当該保険契約について、記録使用更新契約締結交渉権を取得はしないと考えるべきである。
 継続的取引のなかで、当該保険代理店について、常識的な判断基準により、将来的な利益の確保という期待が保護に値すべきであるという状況に至って初めて、そのような権利が認められるべきであり、また認められる権利の内容は当該保険代理店個別の事情を総合して決することとなるのであり、今後、この権利の権利としての明確性等は保険代理店の権利のための闘争と努力により明らかとなっていくものと思われる。
 
 米国のように保険募集委託契約書のなかで、保険代理店の権利として、これを明記することは可能であり、そのような保険募集委託契約が締結されたならば、保険契約の媒介と同時に、権利の取得は可能ということとなるが、それは本稿とは別個の問題である。
 また、米国カリフォルニァ州法に見られるように法令で満期所有権的権利を法定しているような場合も、本稿とは別の問題である(When a broker-agent's contractis terminated as provided by this section, the rights, duties, andobligations set forth in the terminated contract of the broker-agent havingproperty rights in renewals shall continue solely with respect to policies
then in force or renewed as provided by this section until those policiesare canceled in accordance with law, placed by the broker-agent with anotherinsurer, or have expired. 参照
http://www.leginfo.ca.gov/cgi-bin/displaycode?section=ins&group=00001-01000&file=769-769.55
)。
 
9 権利は不断の努力により獲得されるものであり、保険代理店というだけで、米国流の満期所有権の取得を認めるべきであるというような主張は誰も支持しないであろうし、また、そのような権利を認める必要性、合理性も存在しない。
 同様の理由で、保険代理店業務を取り扱うことを目的として設立された大企業等の子会社保険代理店や公法人関連の保険代理店などのなかで、保険契約の締結や締結保険契約の内容等は当該大企業ないし公法人と元受保険会社間において直接協議、決定され、いわば形だけ保険代理店として保険契約の締結代理を行っているような、保険契約者と別個、独立した利益、営業権的利益を保持していないような、保険代理店手数料を取得する目的だけの保険代理店においては、継続的取引が存在していたとしても記録使用更新契約締結交渉権を取得はしないと考えるべきである。
 
四 営業権的理解の見解について
 
1 大塚英明早稲田大学大学院法務研究科教授と東京損害保険代理業協会法制委員会共著による「損害保険代理店委託契約書コンメンタール」(下78頁以下)に満期所有権についての論述がある。
 
イ 前掲「損害保険代理店委託契約の解約告知」(久保泰造著)を引用している。
 「代理店が保険契約に関する記録文書を独占的に使用管理し、満期契約の更新権を有することが代理店の財産(権利)としてうたわれているということは、顧客(保険契約者)は保険会社に帰属するのではなく代理店に帰属するということである。日本においては、顧客は保険会社に帰属するとされるため、代理店委託契約が解除代理店は満期契約の更新の喪失することとなる。代理店がその喪失を回避ところに保険会社への強い従属性が生まれる」と。
 
ロ そして、「満期所有権」というような所有権用語が使用されていることに関し、日本法における物権法定主義を説明したうえ、この権利について、所有権というような法律構成は不可能であると指摘する。
 久保泰造氏の論考は、その記載の内容をみれば判明するとおり、この取り上げている権利について所有権というような物権的な構成を主張しているわけではない。久保泰造氏の論考は米国の保険代理店が有するとされる保険契約更新契約に関する権利の紹介とともに、英語表記を日本語に直訳されて紹介されているだけである。
 久保氏の趣旨が上記のようなものであることは、前記論考において「いわゆる満期所有権」というように表現されているところからも明らかである。
 大塚教授らの指摘は、この権利について所有権というような物権的法律構成を主張する者がいるかのような誤解を招きかねない論述部分があるのでこれを指摘しておくこととする。そして、この権利について、所有権というような物権的な主張をしている人を筆者は知らないことも付記しておく。
 
2 ついで、いわゆる営業権の論述、説明をしたうえ、保険代理店における営業権の実体を考察したうえ、「保険代理店は代理店委託契約により保険会社から貸し出される有形財産を使用して、顧客の誘引力を獲得したとしても、最終的にはこれら貸し出されたものについては保険会社に返却する必要があり、これらを返却すると保険代理店に残るものは顧客の誘引力のみである」と指摘する。
 
 そして、「保険代理店は契約募集過程で得た顧客情報、当該顧客に対し確立したアプローチ手段、顧客が必要としている保険情報などについては明確に独自の営業権を有する」と記載する。 
 
 このように論じ、最終的には「これまで満期所有権論などで目指してきた代理店の保険会社に対する法益主張という終局の目的とは多少方向が異なる」と記載し、本稿で問題とする、いわゆる満期所有権の問題、記録使用更新契約締結交渉権が保険代理店に認められるのか否か、という点に触れずに終わっている。
 
3 満期所有権について直接、正面から肯定できるのか否かを論じることを避けた大塚教授らの論述の趣旨や意図は不明である。
イ 正面から論じることを避けているようにも理解できるところから、その論旨の正確な理解は困難であるが、「満期所有権」というタイトルを掲げて論じているにもかかわらず、結論としてこれを正面から論じることを避けた論旨であり、これを読む人に誤解と混同を招来するおそれがあり、その意味では、満期所有権というタイトルで議論される本主題の考察にとっては、議論を混乱させるおそれがある。
ロ 他方、「保険代理店は代理店委託契約により保険会社から貸し出される有形財産を使用して、顧客の誘引力を獲得したとしても、最終的にはこれら貸し出されたものについては保険会社に返却する必要があり、これらを返却すると保険代理店に残るものは顧客の誘引力のみである」と指摘するところから、いわゆる満期所有権という表現により論じられている利益ないし権利を否定する趣旨とも理解可能であり、仮にそのように、これを全く否定する論旨であるのなら、その論旨は、「対保険会社で、保険代理店の記録使用更新契約締結交渉についての利益を保護すべき必要性と保護すべき合理性の有無」の検討をしていない不完全なものであるように思われる。
 
4 営業権的論考への評価
 保険代理店の守られるべき利益が営業権的なものを基盤とするものであることは論ずるまでもないことであり、その営業権的な利益ないし権利の中に、対保険会社との関係での記録使用更新契約締結交渉の利益を取り込むことはできないのか、それらの利益が保護に値するものか否かということが、まさに満期所有権という表現で問題とされている本稿の主題なのである。 
 大塚教授らの論述は、「記載されていることは論ずるまでもない内容」であり、他方、「考察すべき内容の記載がない」というものである。
 
五 今後について
 
 本稿のような考察を保険会社は歓迎しないかもしれない。しかし、今、社会はグローバル化している。いつまでも日本の保険業界のみが、保険代理店を不当な圧力により奴隷のように切り捨て、そして利用することを容認できるはずはない。
 この問題については、今後、正面からの、多方面での議論が求められるところであり、「保護すべきであるとしても、その条件は何か」、「保護されるべき利益の内容は何か」等の議論を深めていくことが、保険会社そして保険代理店を含む保険業界の発展と国民の生活に不可欠である保険制度の充実にとって必要であると思われる。
 筆者も上記のような問題点の検討を深めるとともに、本件が問題となる契機でもある保険代理店の乗合の問題をも含めて、本稿の稿を重ねていきたいと思っている。
 
 
筆者紹介
神戸大学法学部卒業
 山形地裁、東京地裁(職務代行)、神戸家裁、神戸地裁判事補、神戸簡裁判事を経て、現在、大阪弁護士会所属弁護士
 日弁連法務研究財団、日本賠償科学会、法とコンピューター学会などに所属し、「金利及び弁済金額計算に関する法律と実務・付録プログラム元利計算くん」、「限定相続の実務」、「改訂版 限定相続の実務」、「消費者金融金利計算の実務と返せ計算くん」、「中学生にわかる民事訴訟の仕組み」、「刑事訴訟の仕組み」、「貸金業法施行規則別表算式と貸付条件記載・掲示・利息金計算=金利の黒本」など弁護士ら専門家の間でベストセラーとなっている著作などがある他、「嘘見破るくん」、「ライプニッツ係数計算書」、「弁済供託計算書」、「新・返せ計算くん」、「延滞金計算くん」その他多数の法律電卓を考案し、有償無償で頒布している。
 また、税理士会、行政書士関連団体、青少年健全育成会その他の団体において、多様な講演活動等もしている他、各種団体に対する連載執筆活動等もしている。
 法律系インターネットの世界においては、本名よりもハンドルネームである「弁護士五右衛門」の方が著名でもある。「知識や知恵は、先人のものを盗め!」という基本的発想をハンドルネームに託している。