名誉毀損における調整要件としての不特定多数の要件と意義
 
    −−−インターネット社会に適合した名誉毀損の法理を求めて−−−
 
              大阪弁護士会所属
弁護士 五 右 衛 門                (インターネット社会における名誉毀損とその救済)
                                                              http://www.zunou.gr.jp/hattori/tokumei.htm
   
 
掲載 2006/5/16
補正1回 2006/5/17
 
目次
一 不特定多数の要件
二 限定的解釈の先人、戦陣−対抗言論の理論
三 対抗言論の理論の補強修正論−ボクシング理論試論
四 Blog等への適用拡大と要件修正
 「不特定ないし多数」という調整要件の基本的存在理由からの限定的解釈
 
    検討反芻中!!
 
 
一 不特定多数の要件
 
1 他人の名誉を毀損する行為が違法性を帯びる要件として、法は「不特定多数に対し」他人の名誉を毀損する行為をしたことを求めている。
 
2 法はなぜ、このような要件を要求するのか。
 
イ 名誉毀損が守ろうとする法益が、「人の社会的評価」とするならば、当然、その「社会的評価」の基盤ないし前提となる「不特定多数の者に対する行為であること」が要求される。
 
ロ では、なぜ、少数の特定の者に対する名誉毀損行為は、法的に名誉毀損という評価を受けないこととしたのか。
 少数ないし特定の者の間であっても、守るべきものではないのか。
 
ハ これは社会的に許されないという違法という評価と人間社会の基本にかかわるような気がする。
 人間の生活、社会における人と人とのの交わりは、情報の交換である。
 この人間が社会的に生きる、という情報の交換については、不必要、過度な規制は慎むべきである。情報の交換こそが人間社会を進歩、発展させてきた大きな道具であったからである。近代法が表現の自由を大切な権利として保障する理由である。
 
ニ このように考えてくると、名誉毀損という法的評価の「不特定ないし多数」という要件は、人間社会発展の基本と個人の精神的苦痛との調和、調整機能であると理解できる。
 人間社会の発展に大切な情報交換の行為であったとしても、特定の個人を、特定の個人を精神的に痛める「方法」での情報交換は許されないという制限なのである。
 
ホ ここで考える必要がある。
 なぜ、「不特定ないし多数」という制限ないし調整の枠付けをしたのか、ということである。
 それは前記のとおり、名誉毀損が人の社会的評価を法益とするというところからくるものであろうが、それだけではないと考えるべきである。
 不特定多数に対する名誉毀損行為は、個人にとって、回復が困難であるという点に求められるべきである。人の名誉を「不当に」毀損する行為が「不特定ないし多数の者」に対して行われた場合、当該個人は、自らの正当な評価」を「回復することが著しく困難である」という点に求められるべきである。
 
ヘ 以上のように、名誉毀損の要件としての「不特定ないし多数」という要件は、
(1)名誉毀損が守ろうとする法益が、「人の社会的評価」であることを前提とし
(2)これが、人間社会発展の基本と個人の精神的苦痛との調和、調整機能の役割を期待され
(3)その調和、調整機能としての機能の基本は、「名誉毀損行為が、不特定ないし多数の者に対して行われた場合、当該個人は、自らの正当な評価を回復することが著しく困難である」という点に根拠があると考えるべきである。
 
ト このように考えてくると、単純に「不特定ないし多数」に対し「名誉を毀損させる行為」がなされたとしても、それだけで名誉毀損という法的に違法という評価をすることは慎むべきである。
 
チ それは前記トに記載したような、「不特定ないし多数」という調整要件の基本的存在理由から限定的に解釈されるべきものであるからである。
 
二 限定的解釈の先人、戦陣−対抗言論の理論
 
1 名誉毀損という違法という法的評価について、「名誉毀損」という要件そのものの解釈について限定的解釈の戦陣を切ったのは、高橋東大教授の提唱する「対抗言論の理論」である。
 
イ 名誉毀損を受けた者に、犠牲を甘受することを要求することが必ずしも不当とは言えない事情として、もう一つ重要な要素は対抗言論(more-speech)の可能性という問題である。
ロ 人の名誉が言論により毀損されうるとすれば、その回復もある程度まで言論を通じて行うことができる。
ハ 名誉毀損と表現の自由の調整を考える場合も、この原則が基本的には妥当する。
 名誉を毀損されたと主張する者は、対抗言論によって名誉の回復をはかればよいのであって、それが可能なら、国家(裁判所)が救済のために介入する必要はない。むしろ、当人達の自由な言論に委ねておく方がよい。
ニ 但し、一定の前提が必要である。
(1) 第1に、両者が対等な言論手段を有していること。
(2) 第2に、毀損された名誉回復のために、時間的、財政的また精神的にも負担をともなう対抗言論を行うことを要求することが、不公平とは言えない何らかの事情が存在すること。
 例えば、名誉毀損的表現が自らの発言への批判としてなされたような場合である。このような場合、もともと自己責任で論争誘発的発言を行ったのであるから、それに対する反論は当然に予測されるところであり、その際、主題に関連がある限り、反論が場合によっては人格批判に及びうることを覚悟すべきだと思われる。
 例えば、善良な性道徳を守るためにわいせつな表現の規制をすべきだという主張をした者に対し、その者が常日頃わいせつな表現に好んで接していた事実を指摘し、このような者がそのような主をする資格などないと攻撃する場合などがこれにあたる。
 要するに、平等な立場で、論争の土俵の上に上がった以上、言論による攻撃には言論で反論し決着をつけるのが原則だということである。どちらの言い分が正しいかは、裁判所ではなく、まず読者・聴衆の判断に委ねるのがよいと思われるからである。従って、かかる文脈での名誉毀損的表現原則的には違法性はないと考えるべきではなかろうか。
ホ (この対抗言論という)考えは・・・いわば「場」(フォーラム)の論理であり、その場に平等な立場で参入した以上、言論に対しては言論で対抗するのを原則にしようということである。
ヘ このような場においては、名誉は毀損されても対抗言論により回復しうるので、結果として名誉毀損は生じないと考えるのである。
ト 反論が不十分にしか行い得ない限度で、名誉毀損を認める必要が生じるが、その場合の表現の自由との調整としては、「相当の理由」をここにも適用するのが妥当であろう。
チ 再反論を続けても、執拗に同じ内容の人格攻撃を受けたような場合には、いつまでもそれにつきあわなければならないとすれば、それも適切ではない。このような場合には、被害者に対し、対抗言論の責務を解除すべきであろう。
 
三 対抗言論の理論の補強修正論−ボクシング理論試論
  http://www.ilc.gr.jp/journal/000106/
 
1 高橋教授が「対抗言論の理論」等により、違法性を払拭ないし減殺しようとした行為については、「言論による相互批判と非難の応酬」の中で発せられた「不穏当な発言ないし相手の諸感情等を爆発せしめるような誘発発言」等により、「過剰防衛的な発言等」が生じ得るのであり、これらの偶発的な爆発的発言等については、
 
イ 「誤想過剰防衛の理論」を一部援用し、
ロ また高橋教授の主張する「対抗言論の理論」のもつ社会的相当性
ハ そして前記したような「相互批判の応酬をし合うという特殊な?場?に自らの意思と責任で参加してきていることによる危険への接近理論、推定的承諾の理論、これらも換言すれば社会的相当性の理論」等により、
2 その違法性の阻却ないし減殺を肯定すべきである。
 違法性というものが、「侵害行為の態様と種類、そして被侵害利益、法益の種別等の相関関係」から捉えられるものであるという前提に立てば、「個人的人格という名誉に対する侵害行為が起きやすい場」に自らの意思と責任できた以上、「言論による侵害に対しては対抗言論で侵害を防御する、という意思と責任が要求される」という立論はあながち不当なものではなく、特に被侵害者の発言等が言論による侵害行為、過剰防衛発言等を誘発したというような事情が認められる場合には、これら議論の流れ等は「侵害行為と目される過剰防衛発言等の違法性」の内容、程度の評価にあたり十分考慮に値するものであり、このような論理は現在の民事、刑事法における違法性阻却等の理論に、融和可能であると考えられる。
3 違法性阻却ないし減殺の前提条件
 下記のような要件の全てをみたす名誉毀損的な発言等については、違法性の阻却ないし減殺を考慮すべきである。
 違法性阻却の有無ないし違法性減殺の程度については、「名誉毀損的発言を誘発した発言内容、名誉毀損的発言内容等当該議論の流れ等諸事情」を考慮して決せられるべきである。
 
イ 侵害行為としての発言が、当該議論ないし先行する誘発発言の議論としての延長線上にある発言であること。
  名誉毀損的な発言の発言内容が、人格非難をともなうとしても、相手方の主張の意味や効果を減殺するか、相手方への人格非難が少なくとも相手方の主張の正当性ないし真摯性等を弾劾する意味 を有していると認められることが必要であろう。
----関連性の要求----
ロ 名誉毀損的な発言を受けた者に、当該名誉毀損的発言を誘発したと認められるような不穏当な発言が先行していること。
  例え、相互批判をし合うフォーラムというような場での議論であったとしても、相手方になんら責められるべき点がない場合にまで、認めるべきではなかろうと思われる。
----誘発責任の存在----
ハ 名誉毀損的な発言については、その議論の流れ等から、通常、そのような不穏当、名誉毀損的な発言が反論ないし反駁として、なされ得ることが、予見ないし予測される状況であったこと。
  何故なら、誘発発言をした人の予見と予測を超える暴言等は認めるべきではないし、その予見可能性の存在が誘発発言をした者 をして、不穏当発言の撤回と陳謝の機会を付与することとなり、
 その機会を適切に使わなかったという意味で、被侵害者に対して受忍を求めるひとつの根拠となり得る。
----予見可能性の要件・誘発発言撤回の機会付与の要件----
ニ 名誉毀損的発言の発言内容が、3記載の予測ないし予見可能な範囲に属する内容と程度であること。
----相当性の要件----
ホ 名誉毀損的発言の内容が、その名誉毀損的な発言を受けた者が、即時、なんらの準備、調査等を要することなく、容易に言論により反論、反駁することが可能な事項を内容とすること。
  当該議論の場で、即時に対抗言論によりその名誉を回復できないような名誉毀損的発言はこれを認めるべきではない。時間の経過は被侵害者の名誉の回復を困難とするからである。
----即時反論可能の要件----
ヘ 不穏当な誘発発言等に対し、他の参加者等から「不穏当な発言である」旨注意ないし警告等が発せられた後の名誉毀損的発言でないこと。
  不穏当な誘発発言等がなされたとしても、他の参加者等から、その旨の注意ないし警告がなされた場合には、不穏当発言を受けた者もその注意、警告により、不穏当な誘発発言の問題は一応解 消したものとして続行議論に参加するべきであり、それが耐えられないのなら、その場から立ち去ることにより、問題の勃発をさけるべきである。不穏当な誘発発言に触発等された発言に限定すべきである。
----触発発言の要件----
ト 同一機会と評価され得るフォーラム等の議論の場における発言であること。
  同一の機会ないし場と評価されないようなときの発言に「誘発 性」は認めるべきではなかろうと思われる。例え、続行議論であったとしても、日が変われば認めるべきではない。
----同一の場の要件----
 以上のような要件を具備する名誉毀損的発言については、違法性の阻却ないし減殺を認めるべきである。 
  なお、仮に、以上のような違法性阻却ないし減殺という法理論が認められないとしても、誘発発言をした者からの名誉毀損的発言をした者に対する「不法行為を理由とする裁判上の請求」は、場合により、権利の乱用ないし信義則に違反する請求として、棄却される余地が十分あり得ることを認識すべきである。
 
 
四 Blog等への適用拡大と要件修正
 
1 前記対抗言論の理論やボクシング理論試論は、「フォーラム等」の「特殊な場」における発言等について、名誉毀損等の成立を否定し、限定させる機能と理論であつた。
 
2 しかし、現在、インターネットの世界における活発な議論は、Blogのコメント欄への投稿等により行われつつある。メーリングリストやフォーラムという場ではなく、Blogのコメント欄への投稿等により行われている。
 
3 前記対抗言論の理論やボクシング理論試論はBlogのコメント欄への投稿等による議論への適用とその適用要件の補正、修正が必要である。
 
 
  
 「不特定ないし多数」という調整要件の基本的存在理由からの限定的解釈
 
1 前記対抗言論の理論やボクシング理論試論はBlogのコメント欄への投稿等による議論への適用とその適用要件の補正、修正が検討されるべきであるが、「名誉毀損における不特定ないし多数という調整要件の基本的存在理由からの限定的解釈」も検討されるべきである。
 
2 前記のとおり、名誉毀損という違法という法的評価について、「不特定ないし多数」という要件が必要とされる理由が、「名誉毀損行為が、不特定ないし多数の者に対して行われた場合、当該個人は、自らの正当な評価を回復することが著しく困難である」という点に根拠があると考えるべきであるとすれば、Blogの設置、管理者に対するのコメント欄への投稿等による議論における名誉毀損等については、より限定的に解釈する余地があり、「不特定ないし多数」という調整要件の根底に存在する要件を活用すべきである。
 名誉毀損における「不特定多数」という要件を形式的に捉えるのではなく、それが要求された実質的な理由を探求し、その要件の具備については、表現の自由という情報交換の有意性との調整機能の役割を持たせて解釈するのが正当である。
 
 
3 一見、名誉毀損行為と認められるような発言があったとしても、名誉毀損の成立について「不特定ないし多数」という要件を要求する理由が、「当該個人は、自らの正当な評価を回復することが著しく困難である、という点に根拠がある」とするならば、その根拠としての「自らの正当な評価の回復可能性」の程度と内容を検討し、慎重に、名誉毀損の成立の有無を検討すべきであり、形式的な形式要件該当性のみの判断で、これを肯定することは慎むべきであろう。
 
 なぜなら、Blogの設置、管理者は
イ エントリーは自らの意思で決定できるものであり
ロ 自らコメント欄の設置ないし閉鎖は自由にできるものであり
ハ 投稿されたコメントの削除、抹消も自由にできる立場にあり
ニ さらに、コメント欄への投稿制限は、限定的ではあるが可能であり
ホ また、なによりも、そのBlogの設置、運営も自由意思により可能であるからである。
 
4 Blogの設置、運営について、上記のような点があるからといって、Blogの設置、運営する者に、名誉毀損投稿を甘受しなければならないと不当な受忍を求めるものでもない。
 しかし、コメント欄を開放したBlogの設置、運営をする者は、それなりの覚悟と誠実さが求められるのではないかということである。
 
5 建設的な議論の場を提供し続けているBlogと炎上するBlogの一部をかいま見てみると、一点、明確な差があるように思える。
 建設的な議論の場を提供し続けているBlogの管理者には「謙虚さと誠実さ」があり、炎上又は炎上が継続するBlogの一部の管理者には「これらが欠落しているのではないか」ということである。
 もとより、私には、コメント欄を開放したBlogの設置、運営をする能力も、覚悟も、誠実さもない。