ネット上におけるわいせつ図画のアップロード行為
 
              大阪弁護士会所属
弁護士 五 右 衛 門
 
一 陳列と頒布(問題の所在)
 
(わいせつ物頒布等)
刑法175条  
 わいせつな文書、図画その他の物を頒布し、販売し、又は公然と陳列した者は、二年以下の懲役又は二百五十万円以下の罰金若しくは科料に処する。販売の目的でこれらの物を所持した者も、同様とする。
 
 陳列と頒布の差違は、大阪高裁平成15年9月18日判決の指摘するとおり、「占有移転の有無にある」と考えるのがひとつの論理かもしれない。
 
 ネット上でわいせつ図画等をアップロードして、不特定多数の者に閲覧可能とした場合、陳列か頒布か。
 
二 ネットの構造との関連
 
 インターネットのファイルの送受信という構造を考えれば、基本的にには、わいせつ図画等の複製物(ファイル)の頒布と考えるのが自然である。
 正確、緻密に言えば、「わいせつ図画等をアップロード」する行為は、頒布準備行為であり、当該HPに他人がアクセスすることにより、複製物(ファイル)を送信する=頒布行為をするということとなる。
 
三 陳列と頒布の区別の意味など
 
 しかし、他方、陳列と頒布の差違が「占有移転の有無にある」とするのは、頒布の場合、「頒布を受けた者が自由にそれを閲覧し、また再頒布できる」という特質を保有することにあると理解できるかもしれない。
 陳列と頒布の法定刑は同一であるものの、陳列ないし頒布行為の内容による、わいせつ図画等の社会への流出の程度等法益侵害の程度等により具体的な行為の情状等は当然異なってくるものと考えられる。
 
 このように、陳列と頒布の差違を「頒布を受けた者が自由にそれを閲覧し、また再頒布できる」という特質の有無に着眼すると、別の論理が生まれてくる。
 それは送受信されるファイルの種類、構造と、それによる再現の難易性である。
 
 受信されたファイルを例えば、ダブルクリックするだけで、再現可能なファイルのような場合(A)には「頒布」と擬律し、それ以上の特別な知識と能力がなければ再現困難なような場合(B)には、「頒布を受けた者が自由にそれを閲覧し、また再頒布できる」という特質が欠落しているものとして、「陳列」と擬律することも理論的には可能かも知れない。
 
 この考え方に従えば、「再現するために求められる特別な知識と能力」の一般への浸透の程度等により、従来、「陳列」と評価されていたものが、「頒布」と評価されるに至ることがあることを認めることとなる。
 
四 わいせつ画像貼り付けHPのブラウザによる閲覧など
 
1 通常、一般の人がHPを閲覧する場合、当該HPにアクセスすることにより、当該HPを構成する各種ファイルがダウンロードされて、閲覧者のPC内の特定のフォルダに保存され、当該保存された各種ファイルをブラウザという閲覧者のPCにインストールされているプログラムが閲覧者のPCの画面上に表示することとなる。
 このようにして閲覧者は他人の作成したHPを閲覧することとなる。
 
2 1記載のとおり他人のHPにアクセスするだけで、当該HPを構成する各種ファイルを自己のPC内にダウンロードしている。
 しかし、PCについての、若干の知識もない、人では
イ その保存されたファイルの所在はわからない。
ロ 仮にそのダウンロードされたファイルを発見したとして、通常のPCの設定では、例えば当該画像ファイルをダブルクリックして閲覧しょうとした場合、PCから「システム上、問題はないのか」、「本当に実行するのか」というような警告メーセージが表示される場合が多い。
ハ 要するに、HPにアクセスすることによりダウンロードされたファイルを閲覧する等当該ファイルをコントロールすることについては、若干のPCの知識が要求されるわけである。 
 
3 仮に、前記三記載の論理を採用し、かつ2記載のような若干のPC知識が要求されることを持って、前記三記載の「特別な知識と能力」であるとすれば、わいせつ画像等のアップロード行為は、「陳列」と評価、判断されることとなる。
 
 このように仮に「陳列」と評価される者の行為であったとしても、若干のPC知識を持った閲覧者は簡単に当該わいせつ画像ファイルをコントロール可能な形でダウンロード可能であるが、HP作成者には「頒布行為」が欠落している。「頒布準備行為」はあったとしても「頒布行為」は存在しないこととなる。
 
五 陳列と頒布の識別基準
 
 以上のような論理を前提とすれば、イ HPへの貼り付け行為=陳列行為  ロ メール添付による画像送信など=頒布行為 と評価されることとなる。
 
 この結論はネットの特性ということを捨象した常識的な感覚に適合するかもしれない。
 
(蛇足−
 本稿のような議論に意味があるのか否かはわからない。しかし、ネット社会の浸透による既存概念の変容ないし変容の可能性については、日々、検討しておく必要がある。)